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長野地方裁判所 昭和37年(行)1号 判決

原告 小栗よし

被告 飯田市長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

原告は、「被告が原告の審査請求に対し、昭和三六年九月一六日なした、故小栗博の死亡については公務災害補償をしないとの決定を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。被告は主文同旨の判決。

第二、請求原因

一、原告は亡小栗博の妻である。博は昭和三六年六月の梅雨前線豪雨に際し同月二七日午後三時頃より飯田市大門町三区野底川沿岸の金山製綿所附近で水防作業に従事中同月二八日午前零時三〇分頃野底川の堤防及び護岸(以下両者を合せて堤防という。)が決潰したため、水防作業中の山田勲・原清美・伊藤静雄・金山源一・川上新治・小栗猛と共に激流に押し流されて死亡した。原告は同年八月一六日被告に対し、右博の死亡は水防法第三四条にいう、同法第一七条の規定により水防に従事した者が水防に従事したことによつて生じたものであると主張し、当時施行中の非常勤消防団員等に係る損害補償の基準を定める政令第一七条および飯田市消防団員等公務災害補償条例第一八条に基き、同人の遺族として公務災害補償に関する審査の請求をしたところ、被告は同年九月一六日原告に対し、同人の死亡については公務災害補償をしない旨決定し、同月二三日その旨原告に通知した。

二、しかしながら、博の死亡は以下に述べるとおり、水防法第一七条により飯田市の水防管理者らがやむを得ない必要があるとして右博らを水防に従事させ、同人らがこの命令に従つて水防に従事したことによつて生じたものであるから、被告は前記法令および条例に基き原告に対し公務災害補償をなすべき義務があるというべく、これに反し右補償をしないとする前記被告の処分は違法である。

(1)  本件災害により死亡した博ら七名は、同日午後三時頃から現場附近の居住者ら数名とともに前記箇所で水防作業に従事していたが、堤防決潰のおそれが濃厚となつたので、飯田市の消防本部に電話で消防団員の出動および水防資器材の供与を要請し、右地域を分担する消防団第二分団に対しても同様の要請をしたところ、水防管理者である飯田市長あるいは消防機関の長は消防本部から同人らに対し「手不足で出動できないので後で手配するが、附近居住者は水防作業に従事せよ。」との命令を発し、消防機関より水防資器材を供与させ、かつ同日午後五時頃、職員一、二名を現地に派遣し水防作業の指揮に当らせた。博らはその指揮下において作業中死亡したものである。

仮りに右の如き命令が消防本部の長から直接発せられたものでないとしても野底川沿岸は飯田市水防計画による危険区域であり、水防管理団体である飯田市は水害に対処するため必要な措置を講じておかなければならない箇所である。仮りに右沿岸が危険区域でなかつたとしても、六月二七日午後三時頃から堤防決潰の危険が生じ、前記の如く出動要請を受けたのであるから、水防管理者である市長及び消防機関の長は右沿岸の警戒防禦にあたらなければならないことを熟知していたのである。かかる事情の下において、博等附近居住者は消防本部より前示の如き指示を受け水防作業に従事したのであるから、右は水防法第一七条にもとづく水防管理者ないしは消防機関の長の命令というべく、博の死亡は公務災害であることは明らかである。

(2)  仮りに水防管理者または消防機関の長が右の如き命令を発した事実がないとしても、水防法第一七条は右命令権者からその権限の行使を命ぜられたものがこのような命令を発し、または事態が切迫しているため右命令権者に指示を仰ぐ暇がないような緊急な場合に消防団の分団長または班長ら下級職員が右命令権者に代つてそのような命令を発することを許す趣旨と解すべきである。本件の場合、博らは野底川およびその流域の警戒を担当する飯田市消防団第二分団長近藤勇あるいは右分団の班長大倉健司に水防資器材を供与され、水防作業に従事するように要請されて作業に従事したものであるが、右近藤らは当日右命令権者から情勢に応じ附近居住者をして水防作業に従事せしめる権限を事前に授与されていたものであり、仮りにそのような事前の授権がなかつたとしても、それは前記の如く緊急な事態において同人らが上司の指示を仰ぐことができなかつたので上司に代つて右命令を発したものというべきである。従つて、博の死亡は水防法第三四条に該当し、公務災害補償の対象とされるべきである。

(3)  仮りに博等に対し前記の如き具体的な命令が発せられなかつたとしても、水防法第一七条は緊急の場合に処する規定であるから、命令は機に臨み適当な方法で発せられるべく、必しも明示たるを要せず、黙示の方法によつても水防義務を負わせることができるのである。飯田市においては水害の際その地域の住民に対し水防作業に従事すべく要請し、住民はこれに応じて水防に従事する慣行があり、大門町三区の居住者に対する退去命令は博等が死亡した後の六月二八日午後一時頃までは発せられなかつたので、それまで附近居住者は水防作業に従事せざるを得なかつたのであり、又一般住民のかゝる活動なくしては集中豪雨による異常出水に対処できないことも明らかであるから、当時大門町三区野底川沿岸の居住者全般に対し権限ある機関の水防従事命令が発せられていたものと解すべきである。従つて博は水防義務遂行中死亡したものというべきである。

三、以上の如くであるから、博が公務に従事中死亡したものではないとしてなした前記決定は事実の認定を誤つた違法があり取消されるべきである。よつて、原告は被告に対し右決定の取消を求める。

第三、被告の答弁および主張

一、請求原因一の事実は認める。

二、請求原因二の事実は否認する。博の死亡は以下のとおり公務災害にはあたらない。

(1)  昭和三六年六月二七日午後一時頃野底川が急に増水したので附近の住民は自発的に水防作業を始め、大門町自治会長熊崎藤市が事実上その指揮をとつたのである。右作業に蛇籠五本を使用した事実はあるが、それは作業員の一人である消防団第二分団所属の大倉健司が奔走し消防署水神水防倉庫から供与を受けたのであつて、原告主張のような経緯で配分されたのではない。当日消防職員はあらかじめ危険と目されていた箇所や危険切迫の通告を受けた場所に全員出動して水防に忙殺されており、又消防機関は各所から殺到した水防資器材の要求に応じたが、金山製綿所附近からは何等通報がなかつたので、同所附近の状況はわからず、従つて命令を出したり、指示したことは全くない。

(2)  博は野底川南岸に近い金山製綿所の留守番を兼ねて同所に居住していたが、二七日午後三時三〇分頃家財を避難運搬した後兄小栗猛その他右製綿所の従業員および附近居住者と共に川岸に蛇籠を入れたり石を運んで水防作業をしていた。午後一一時頃前記熊崎藤市は作業の中止を指示し、附近の居住者は川岸から引揚げたが、博および右従業員らは別行動をとり、翌二八日午前零時三〇分頃突如襲来した鉄砲水に呑まれて他の六名と共に死亡したのであるから、博が水防法第一七条により水防に従事せしめられていたものでないことは明らかである。

(3)  金山製綿所附近は水防計画による危険区域ではない。野底川沿岸の危険区域は本件決潰箇所より下流で、富士橋から上流一〇〇〇メートルの間の右岸である。そのうち特に危険な区域として、伝馬井取入口とその下流六〇米及び富士橋より上流一七〇メートルが指定されている。又当時飯田市内には警戒区域は設定されていなかつた。

(4)  飯田市には水害に際し一般住民に対し水防作業を要請する如き慣習はない。大門町三区に退去命令が出されていなかつたことは認めるが、退去命令が出されなかつたからといつて、水防従事命令があつたことにはならない。けだし、水防法第一七条は消防法第二五条と異り、水防のためやむを得ない必要があるときに水防管理者・水防団長又は消防機関の長が区域内の居住者又は水防の現場にある者に対し水防に従事することを命ずる規定であるから、水防作業上緊急の必要ある場所を特定し、水防関係者以外の一般人を退去させる退去命令とはその目的を異にし、対象者も命令権者も異なつている。従つて退去命令が発せられなかつたからといつて水防従事命令があつたといえないことは明白である。又消火活動については消防吏員及び消防団員に命令強制の権限を与え、それ等の者は緊急の必要あるときは火災の現場附近に在る者を消防作業に従事させることができることになつており(消防法第二八条・第二九条等)右により消防作業に従事せしめられた者に対しては災害補償をする旨を規定している(同法第三六条の二)。そして同法第三六条は他の災害に関し右各規定を準用すると定めたが、特に水災についてはその準用を除外しているのである。従つて水災に関し地域の居住者等に対して水防作業を命じ得る者は水防法第一七条所定の水防管理者・水防団長及び消防機関の長のみであり、消防吏員・消防団長・消防団員にその権限のないのは勿論、水防管理者等が右権限をそれ等の者に委任することは許されず、(本件においては権限を委任した事実はない。)まして緊急の故をもつてそれ等の者が指示を受けずに命令権者の権限を代行できないことはいうまでもない。

第四、証拠関係〈省略〉

理由

一、原告の請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。原告は、同人がその主張の政令および条例に基き被告に対してした公務災害の認定に関する審査請求に対し、被告のなした処分を争いその取消を求めるのであるが、右政令および条例の規定は公務災害補償の受給者に対し簡易迅速な受給手続を保障するものと解しうるから、かかる手続によつて受給者の受ける利益が違法な処分により害されるならば右受給者はその処分の取消を求める利益を有するものというべく、行政訴訟により右処分の取消を求めうるものと解するのが相当である。そこで、進んで右処分が違法であるか否かについて判断する。

二、水防法第一七条は「水防管理者、水防団長又は消防機関の長は、水防のためやむを得ない必要があるときは、当該水防管理団体の区域内に居住する者又は水防の現場にある者をして水防に従事させることができる。」と規定し、同法第三四条は、前記法条により水防に従事した者が水防に従事したことによつて死亡その他の災害を受けた場合に、市町村にその損害の補償を命じている。本件において博が水防に従事したことにより死亡するに至つたことは、前記のとおり当事者間に争いがない。そこで、更に同人が同法第一七条所定の権限を有する者の命令によつて水防に従事したものであるか否かをみるに、成立に争いのない乙第五号証に証人山口又蔵の証言を綜合すれば、同法第一七条所定の命令権者のうち水防団長については、飯田市が同法第六条所定の水防団を設置していなかつたことからその該当者は存在せず、右命令権者としては水防管理者としての飯田市長(同法第二条第二項)および飯田市消防本部の長としての飯田市消防長(同条第三、四項、消防組織法第九条)の両者しか存在しなかつたことが明らかである。ところで、右両名またはそのいづれかが本件災害に際し、自らあるいはその補助機関を介して明示的に一般住民に対する水防従事命令を発したことについては、これを認めるに足りる証拠は何もなく、却つて証人山口又蔵の証言によれば、そのような事実のなかつたことが明らかである。原告は当時附近の住民が消防本部に電話で出動要請をしたところ、同本部からその旨の命令が伝えられたと主張する。しかしながら、成立に争いのない乙第七号証および証人岡島初美、同金山広司、同大倉健司の各証言からは、岡島ら附近の住民が同月二七日午後野底川の増水に伴い堤防決潰の危険を感じ、数回に亘つて飯田市消防本部に対し、電話で同所附近の危険な状況を伝え、消防団員の来援を要請し、あるいは水防資器材の供与を求めたことは認められるが、これに対する消防本部よりの回答については前記各証拠から、事情を了解した旨および消防団員は多忙で現場へ行くことができない、資材は供与するが手が足りないから取りに来てくれと伝えたことが認められるに過ぎず、進んで他に何らかの命令ないし要請がなされたものと認めるに足りる証拠は何もない。従つて、その形式の如何を問わず、右命令権者から明示的にかかる水防従事命令が発せられたとする原告の主張は採用できない。

三、次に、原告は右命令権者から右命令に関し授権を受けた消防団分団長または班長が右の如き命令を発したと主張し、あるいは緊急事態の故に右下級職員が右命令権者に代つて右命令を発しうる事態にあつた旨主張するのでこの点について考えるのに、水防管理者又は消防機関の長の水防法第一七条所定の権限もその性質上一定の条件のもとには下級機関に権限の代理行使を授権することは可能であると考えられるが、その行為の性質上その授権には一定の限界があるものといわなければならない。すなわち、火災および水災を除くその他の災害について規定した消防法は、その第二五条において当該消防対象物の関係者に対し、消防隊の現場到着までの間消防および人命救助を行うべきことを命じ、その場合に火災現場にある者に対しても右活動に協力すべきことを命じる一方、第二九条第五項において、「消防吏員又は消防団員は緊急の必要があるときは火災の現場附近に在る者を消火若しくは延焼の防止又は人命の救助その他の消防作業に従事させることができる。」と規定しているのに対し、水防法はこれと異り一般市民の水防義務については何らの規定をおかず、その第一七条において水防管理者、水防団長又は消防機関の長のみに対し一般市民に対する水防従事命令の権限を与え、その条件として水防のためやむを得ない必要があることをその命令の要件としている。この両法の規定の差異は、前者が火災および水災を除くその他の災害を対象とし(消防法第一条・第三六条)、後者が火災のみを対象としていることからして、水災と他の災害との差異に着眼し水災について特に別個の規定を置いたものと解さなければならない。すなわち、水災が他の災害に比し、概して広大な地域にわたり一時に多数の市民に被害を及ぼすためこれが防禦には組織的活動が要請される反面、その災害発生はある程度予測が可能であるなどの特性を有することから、一般市民を水防作業に従事させる場合も水防のためやむを得ない必要があるときに限るものとし、その判断も特に慎重を期するため一定の上級機関にのみ委ねたものと解するのが相当である。そうであるなら、消防法第二九条第五項に規定された一般の消防吏員又は消防団員はかかる権限を代理行使することは許されず、消防団長あるいはその分団長の如く水防に従事する職員を指揮する権限のある者において緊急やむをえない必要のある場合にのみその代理行使が許されるものと解するのが相当であり、これらの者とてもできる限り事前に命令権者に連絡して指揮を仰ぐべく、その余裕のない緊急事態においてかかる命令を発したとしても事後において速かにその承諾を得るを要するものと解しなければならない。

四、(1) ところで、本件においてこれをみるに、成立に争いのない乙第五、第七、第九号証に証人近藤勇、同大倉健司、同熊崎藤市、同金山広司の各証言を綜合すれば以下の事実を認めることができる。すなわち、

本件事故現場は飯田市西北端に近い野底川沿岸で野底橋の西方に位し、同市水防計画によれば橋北区内にあつて、消防団第二分団の分担地域に該当する。同分団は二班に分れ第一班は右橋北地区を、第二班は上飯田東野地区を分担し、近藤勇分団長および鈴木副分団長が指揮の任にあつた。本件事故発生の日の前日である昭和三六年六月二七日、飯田市方面では朝からの異常な集中豪雨により天竜川水系各河川が急激に増水を始め、各所の堤防が決潰の危険にさらされたので、同市消防本部は同日午前一一時半頃同市消防団に対し第二配備態勢を指令し消防団員の待機を命じ、続いて同市消防団本部は傘下各消防分団に急拠非常召集を発令した。右第二分団長近藤勇もこの命令に応じ直ちに第二分団員を召集し、第一班は橋北消防会館に、第二班は東野消防会館にそれぞれ集合させたところ、消防団本部からは「各分団は警戒態勢に入り状況に応じ適宜な処置をとれ」との指示があつたので、自らは第二班を指揮し、第一班は鈴木副分団長をして指揮に当らしめ管下の各危険箇所の水防作業に当らせた。ところで、当日管下の野底川流域は各所が危険にさらされ、同日午後一時頃から本件現場のほかその下流の伝馬井取入口、小伝馬橋、富士橋、加賀沢橋その他数ケ所において堤防決潰のおそれが生じ、第二分団に対しては各所から消防団出動の要請が続いた。しかし、同分団員のうち当時の実動人員は約五〇名に過ぎず、とりわけ前記危険箇所のうち本件事故現場の下流約一五〇メートル附近にある伝馬井取入口周辺は早くから増水による危険が予測され、午後二時半頃には堤防が決潰するに至り、次いで下流の前記各橋附近が危険となつたので、消防団員の主力は右地区および下流の地域に集中して水防作業に従事し、本件事故現場には消防団員が応援に行くことができなかつた。しかし、同日午後三時頃になると増水はますます激しさを加え、危険な地域に自宅のある消防団員は各自の自宅が案ぜられ、おのづから各自の自宅附近の水防に従事するようになり、鈴木副分団長は加賀沢橋方面に向つた。そして、第二班の機関班長として消防車の運転の任にあつた大倉健司は、自宅が野底橋附近にあつたので自宅附近の安否を気使い、その頃近藤分団長に地元で水防作業に従事したい旨述べてその了承をえたうえ野底橋附近に帰つた。一方、本件現場附近は野底橋より、三、四メートル下段にあつて野底橋の西側右岸の堤防に沿い、西より前田重五郎の居宅と金山広司の経営する製綿工場および同人所有の倉庫があつたが、同所附近は午後二時頃から増水を始め右両建物の中間に当る護岸工事の施されていない箇所が次第に侵蝕されるなど危険な状態となつたので、附近の住民は消防本部に対し数回に亘つて電話で消防団の出動および水防資器材の供与方を要請した。しかし、消防本部側は前記の如く回答するのみで消防団員の出動は期待できなかつたので、前記金山をはじめ金山製綿所の従業員および附近の住民は自動車等によつて石材や蛇籠を運搬し、これをもつて決潰箇所を補修し、あるいは木流しをするなど自発的に水防作業に従事した。博は、当時右金山製綿所の宿直員を兼ね同製綿所建物内に居住していたので、右建部の危険を感じるや兄猛の応援を得て同製綿所従業員とともに同所附近の水防作業に従事していた。このような状態のもとに前記大倉が帰つて来たので、地元で水防作業に従事していた町内自治会長の熊崎藤市は、同人に対し団員の応援と資材の供与を重ねて要請した。大倉はこれに対し、消防団員の余裕がないことを熟知していたので、団員は下流の小伝馬橋、加賀沢橋で手一杯で手が廻らないが、資材は何とかすると答え、自ら消防署と連絡をとり消防署の倉庫へ往復して資材を運搬し、午後八時頃からは前記住民達とともに金山製綿所附近で石詰めなどを手伝い水防作業に従事した。この間近藤分団長は、下流において第二班を指揮するとともに管下各所の水防作業を巡視し、午後三時および同六時頃の二回に亘り野底橋附近を通りかかつたが、同所附近については、附近の住民が水防作業に従事するのを認めただけで特段の指示をせずに次の作業現場へ廻つた。このようにして本件現場附近においては一〇数名の住民達が以後深夜に至るまで水防作業に当つたが、午後一一時頃には一同疲労を感じ水勢もやや小康を保つかに見えたので、一同の中心となつていた自治会長の前記熊崎は皆に自宅へ引揚げて待機するように呼びかけ、大多数の者は一たん作業現場を引き揚げた。しかし、博ほか金山製綿所の従業員ら数名はその後もなお作業を続け翌二八日午前〇時三〇分頃に至つたところ、突然上流から堰を切つて流下した所謂鉄砲水の来襲を受け、博は金山製綿所およびその従業員らとともに濁流に呑まれて死亡するに至つた。

以上の事実が認められるのであつて、この認定を左右する証拠はない。

(2) ところで、右認定事実によつてみるのに、当日の各河川の増水が異常に急激でかつ広範囲に亘つた特殊事情および本件事故発生前既に消防団本部から各分団長に対し、情況に応じて適宜の処置をとるよう指令がなされていた事実からすれば、当時消防団長その他消防団員を指揮する立場にある者がその各担当地域において水防上止むをえない必要がありかつ上司の指示を仰ぐ余裕のない場合には消防長の有する一般住民に対する水防作業従事命令を発する権限を代理行使することを許されていたものとみることもできないではない。しかしながら、進んでこれらの者から一般住民に対しかかる命令が発せられたか否かについてみると、前記認定の事実から到底そのような事実があつたということはできず、また他にそのような事実を認めるに足りる証拠はない。なるほど、前記認定事実によれば近藤分団長は本件現場附近を二回に亘つて巡視し、博ら住民が水防作業に従事していたことを現認しているけれども、水防法第一七条の水防従事命令がありかつこれに従つて水防に従事したというためには、かかる命令権者によつて水防作業が認識された程度では足りず、積極的に右命令権者の指揮命令下に入つて水防に従事する事実がなければならない。ところが、本件において、右近藤は下流においては消防団員の指揮に当つていたが、本件現場附近においては消防団員はもとより一般住民をも指揮命令したものとは認め難い。もつとも、機関班長大倉健司が途中より本件事故現場附近に戻り一般住民に協力して水防に当つた事実はあるが、同人は本来消防車の運転の任にある消防団員であつて、当日は自宅附近の危険を案じて単独で同所附近に帰り水防作業に加つたもので、指揮者の命を受けて現場に赴き一般住民を指揮命令したものとは認められないし、また自ら住民を指揮した事実も認められないから、右事実をもつて直ちに命令権者の命令と同視することはできない。そのうえ、前記認定事実によれば、本件災害は附近住民の大部分が一たん引き揚げた後になつて突然発生したものであるから、その後も現場に居残つて作業を続けた博の行為は、それ自体称讃に価するとはいえ、水防責任者の指揮命令下にあつたものということは一層困難である。また、前記認定事実からすれば、この地域において消防団員の指揮をしていた近藤分団長は、もし本件災害発生前かかる災害の発生を予知しその水防の必要を認めていたならば、消防本部または消防団本部に連絡して一般住民に水防活動を要請すべきか否かの判断をなしえた筈であるが、同人がそのような事前および事後の連絡をした事実は何ら認めることができない。そうであるならば、消防団の分団長その他の下級職員からの水防従事命令があつたとする原告の主張も採用できない。

五、原告は、更に飯田市における一般市民の水防に関する慣行および当時の緊急事態等から、右命令権者の水防従事命令が黙示的に発せられていたとみるべき旨主張する。しかしながら、水防法は水災から国民の生命財産を守ることを目的とする法律であるとはいえ、主として水防の組織および活動について規定したものであつて、水災による被災者の救済を主目的とするものでないことはその規定自体から明らかであるから、同法第三四条を適用するためには、単に水災による危険な事態が発生し水防責任者に何らかの活動義務が発生したとか、あるいは一般住民が自発的に水防活動を行つたというのみでは足らず、かかる被災者の行動が水防職員の行動と同視しうべき状態、すなわちこれが水防組織の活動として組織化され、水防組織の責任者の指揮命令下に入り、その指揮命令の故に同人の行動の自由が拘束されるような事態に至ることを予定しているものと解さなければならない。従つて、かりに同法第一七条にいう水防のためやむを得ない必要があつたとしても、同条に定める水防管理者らがその判断で一般住民に水防に従事することを要請しない限りは、各自は自己の判断と責任において水防に従事するほかはなく、その必要のみから右命令権者の水防従事命令を推認しあるいはこれを擬制することは許されない。ところで、本件においては前記のとおり、消防団等水防関係者から博ら一般住民に対し何らの指揮命令がなされておらず、現実にも同人らが分団長等消防団の指揮者の下で消防団員らと行動を共にして水防に当つたという事跡も認められない。まして、本件災害の発生したときは、本件現場において水防に従事していた住民の多くが一応引き揚げた後であるから、同人の行動が消防団関係者の指揮命令下にあつたともいい難い。そのほか、飯田市においては水防管理者らから一般的に水防従事命令が発せられていたことを認めるべき何らの証拠もない。よつて、原告のこの点に関する主張も採用できない。

六、以上、原告の主張はいづれも理由がなく、他に博の死亡が水防法第三四条に該当するとすべき事情は認められないから、結局同人の死亡は同条に該当しないものというほかはなく、これと同一の見解にたつて同人の遺族たる原告に対し公務災害補償をしないとした被告の本件処分は適法である。そうであるなら、その違法を主張し被告に対して右処分の取消を求める原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中隆 千種秀夫 福永政彦)

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